| 江戸時代、京都までの街道は東海道と中山道の二つの街道があり、日本橋から京都三条大橋までの内陸部を歩く533qの道は中山道と呼ばれました。
海沿いの平地を歩く東海道に対して、中部山岳地帯を貫く中山道は難所も多く、冬は雪に見舞われ難渋を極める道中でしたが、東海道にある今切れの渡し、七里の渡し等の船旅がなく、川留めがないとろから日程が立て易く、女性の道中にも多く利用されました。又、中山道は当初
「中仙道」と書かれましたが、後に「中山道」の 字に統一され、その道沿いに69の宿場町が栄えました。
埼玉県内にはそのうち蕨、浦和、大宮、上尾、桶川、鴻巣、熊谷、深谷、本庄の宿場町があり、今もその面影を残す町並みに会う事ができます。
江戸の昔にタイムスリップ、ミニ旅に出かけて見ませんか。
まず、第一回は江戸に一番近い蕨宿へのご案内です。
板橋宿に続く二番目の宿が蕨宿で、慶長十七年(1612年)ごろから元和年間にかけて出来上がったと言われています。
蕨宿の中心部は十町(約1q)ほどで、道幅は五間(約9.1b)と広く
道の左右に街並みを形成していました。
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資料館 中山道蕨宿模型(200分1) をはじめ常設展示は、蕨の歴史と文化の特色である宿場と織物に関する情報を中心に展示しています。 |

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蕨宿本陣跡 本陣は、宿場に設けられた参勤交代の大名や公家など貴人の休泊所でした。
皇女和宮などが休泊したといわれています。 |
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三学院 亀山極楽寺と称し、真言宗智山派で本尊は平安中期の慈覚大師作と伝えられます。天正十九年(1591年)11月寺領二十石寄進の朱印状を与えられ、幕末まで蕨宿内に寺領を持っていました |
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火伏子育て地蔵尊 この地蔵尊は元禄七年(1694年)に建立され、
初めは中山道の三学院入口角にありましたが、昭和23年に現在の仁王門前に安置されました。子育て、火伏せ、開運に霊験あらたかとして信仰を集め、毎月四の付く日が縁日で大勢の参拝者で賑わいます。 |
鈴木薬局  |
手焼き煎餅の店
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古い民家
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