「天国を見た事があるか」と友人に聞いてみた。
「お前、熱でもあるのか。それとも変な宗教にでも入ったのか」と取り合わない。確かに、未だあの世とやらへ行った事はないし、行く事になったとしても、それ程の善行を積んだ記憶も無く、天国に行ける保証はない。だが、天国とはこんな処ではないかと、感じた場所が私にはある。
薄っぺらな正義感が元で、定年間近に長野県の佐久に単身赴任することになった。休日の楽しみと言えば、目的を持たず気儘に車で彷徨する事であった。
7月の初旬、この日は珍しく目的地を決めて出掛けた。浅間山から西へ連なる峰の四番目、湯の丸高原、池の平湿原が目的地である。標高二千メートルのこの湿原は、三千メートルクラスの高山植物が見られるといわれ、多くのハイカーと共に、高山植物好きがカメラを抱える姿を見かけた。湿原には木道が整備されており、スニーカーでの散策も問題ない。以前に知人に連れてこられたことがある場所だが、季節外れで期待した花も無く、高原の空気を吸い込んだだけだったので、再挑戦の意味もあった。
イワカガミやコマクサ等の可憐な花を充分に堪能した後、車で10分程下ったスキー場の駐車場で休む事にした。食堂やお土産屋を横目に眺めながら、雪の無いゲレンデに進むと季節外れのリフトが動いている。リフト券売り場の横には『ツツジが咲いています』の看板があり、『歩いて60分、リフト8分』の魅力的な文字が追加されている。ツツジは湿原からの帰り道にも咲いており、敢えて観る必要も無かったが、昼食には少し早かった為、時間調整の意味を込めて乗る事にした。リフト代を惜しんでゲレンデを登る人を下に見ながら、リフトは登って行く。
終点のリフトを降り数分歩くと、レンゲツツジが咲いている。何処かの公園のように、一箇所に密集して咲いている訳ではないが、向こうの山の中腹まで花が続いている。その美しさ・雄大さに暫し見とれてしまった。全身の筋肉が弛緩し、温かく柔らかな羽毛に包まれた恍惚感を覚えた。きっと天国はこんなところでは無いかと、頭に浮かんできた。
来年は妻を連れてきてあげようと思う。天国を見せに。

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