埼玉から東京の隅田川へ流れる新河岸川は、江戸時代から昭和初期にかけて約300年間、川越と江戸間の舟運で栄えました。 1638年の川越の大火で焼失した仙波東照宮の再建資材を、江戸から運んだのが始まりだと言われ、後に豊かな農産物を江戸へ運ぶ役割を果たしました。 当時はふじみ野市の福岡地区に吉野屋、江戸屋、福田屋の三軒の船問屋が並び、大きな財を成しましたが、今は福田屋の建物だけが市指定の文化財として保存されています。
やがて、東武東上線がこの沿線を走り始め、徐々にこの地の舟運は衰退していきます。今は、新河岸川の川幅も狭く当時の姿は残していませんが、長い時を感じながら川岸にたたずめば、春靄の中に 江戸からやってくる舟の白い帆がかすかに見えるような気がしてきます。
写真は鉄道完成を報じる新聞に掲載された当時の柳瀬川鉄橋と現在の柳瀬川鉄橋です。